今日は、私の個人的なお話です。
今年に入り、うれしい報告と一緒に寂しい報告が続いています。
それらを、FacebookなどのSNSを通して知ることが多くなったことに時代を感じます。
先月、私がそのネットを通じて打ち合わせをしていた治療仲間の先輩が駅で脳梗塞で倒れお亡くなりになりました。
やりとりが途中で途絶えたこと、返事が来なかったことを不思議に感じながら待っていました。
次の日にご親戚の方がネットで報告をしてくださり、その事実を知りました。
まだ50歳という若さでの旅立ちに寂しさいっぱいでした。
そして今週、これもまたFacebookを通じて訃報を知ることになりました。
私の同級生が外出先で心筋梗塞で倒れ亡くなってしまいました。
ご主人がネットで報告をしてくださいました。
同級生ですから42歳です。
彼女は私の幼馴染であり大の親友でした。
たとえるならちびまるこちゃんの、まるちゃんとたまちゃん。
私のありとあらゆる「パスワード」は彼女とのエピソードにまつわるもので、たぶん私が死んでしまったあと、
パスワードロックを外せるのは彼女だけだと思っていました。
私が東京の学校に小学校1年生で転校してきたことをきっかけで友達になり、
いっつも一緒に帰って、おけいこ事がない日はほとんどを彼女の家で過ごしていました。
100円もって近くの駄菓子屋まで行ったり、運動の得意だった彼女に側転を教わったり。
たのきんの映画を観に行ったり(笑)
中学入学と同時にうちの家族は引っ越しをしてしまったことと、彼女が私立の中学に入ったので
その後一緒になることはありませんでしたが、社会人になってから二人だけで旅行に行ったものです。
それがまさかのこの「名古屋」です。
京都でも大阪でもなくなぜか名古屋。
海外にも行きました。タイに行ったのですが、そこでまさかのツアーバスの追突事故に合うというおまけつき。
最後にあったのは、おそらく彼女の結婚式ですから、もうずいぶんとあっていませんでしたが、
ネット社会というのはいいもので、そこで、彼女の家族の様子も、彼女の様子もわかっていました。
まさか、ネットで彼女の訃報を聞くことになるとは思っていませんでした。
小さなお子様3人を残してのことで、子どもたちの動揺の強さもあり、近親者だけで葬儀が行われたため
死後も会えませんでした。
いつでも会えるってことはないんだなぁ
ご存じの方も多いと思いますが、葵接骨院のコンセプトは「その人の人生に一つ楽しみを増やす」こと。
その説明で「会いたい人に会いに行ける」というものを具体例であげています。
まずは、健康でないとそれすらできません。
そして健康になったなら、ぜひ会いに行きたい人に会って楽しい時間を過ごしてもらいたいのです。
けがを治療すること、痛みをとることのゴールは、治癒(ちゆ)ではありません。
治ったことでできるようになったことが一つでも増えるように今後もお手伝いをしていきたいと思います。
お二人のご冥福を心からお祈りいたします。